「拒否」という言葉に甘えるな

在宅医という仕事をしていますと、医療・介護関係者から時々耳にする「拒否」という言葉が、私はすごく嫌いです。

例えば、「服薬拒否」とか「入浴拒否」とか、そういう言葉です。

 

なぜ嫌いなのかといいますと、「拒否」という言葉を使った時点で、使った人の方が思考停止してしまうからです。

「拒否」という言葉を使った時点で、こちらがわの都合でしかものごとをみていないからです。

 

想像してみてください。

自分のタイミングではなく、誰か他の人のタイミングで、「お薬を飲みましょう」とか「お風呂行きましょう」って言われたら、あなたなら、素直にゆうこと聞きますか?

 

あなたなりの、事情や考えがあって、「今はお風呂の気分じゃない」とか、「薬の中の、飲みにくいやつがあって、それが嫌なんだ」とか、そう思う事だってあるはずです。

 

なぜ服薬をしたがられないのか?

 

いつなら、喜んでお風呂に入って下さるのか?

 

どのように、声をかけたら、快く引き受けてくださるのか?

 

相手の立場に立って、そう考える余地があるはずなのに、「拒否」という言葉を口から発した途端に、何か大切な可能性がこぼれ落ちていくように感じてしまうのです。

 

「拒否」という言葉の裏には、責任は相手にあるのであって、自分にはないのだという、暗黙の意図を感じ取ります。

 

「入浴拒否されました」と、報告してしまえば、自分はやることはやったけど、相手が拒否したからできなかったと、いい訳ができます。

 

そうやって、「拒否」という言葉に甘えてしまっていたら、いつまで経っても、自分が成長できません。

 

日本の医療や介護の業界から「拒否」という言葉がなくなって、「誘ってみたけど、タイミングがよくなかったみたい」とか「すすめてみたけど、すすめ方が下手だったみたい」「どうしたら、了解してもえらえるかな?」なんてやりとりが、日常になっていったらいいなと願っています。