素敵なお爺ちゃんになりたい

現代は、「老い」や「老人」は、多くの人がネガティブなものと捉えています。

しかし、本当に「老い」や「老人」は、ネガティブなものなのでしょうか?

今回はこの問いから出発してみたいとおもいます。

 

「老い」に価値を見出す人たち

私の結論からいいますと、老人だからこそ発揮できる価値があると思います。

紀元前5-6世紀の中国の思想家、孔子の言葉からもうかがい知れます。

吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑はず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(したが)ふ。
七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず。

 

口語訳にすると

子曰く、、
「私は十五歳のとき学問に志を立てた。
三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。
四十歳になると、心に迷うことがなくなった。
五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。
六十歳になると、人の言うことがなんでもすなおに理解できるようになった。
七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、人の道を踏みはずすことがなくなった」と。
(『論語』・旺文社)

 

孔子の言葉を弟子たちが遺した「論語」の有名な一節です。

年齢を重ねるごとに優れた人格に成長することができたという、彼なりの人としての成長論です。

 

絵本「えんとつ町のプペル」の作者、キングコング西野さんは、自身の著書やブログで、「愛される欠陥」として、老人ならではの魅力について言及されています。

AIやロボットの時代だからこそ、人間らしい欠陥に価値があると言っています。

詳しくは彼の著書「革命のファンファーレ」や、彼のブログをご覧下さい。

リンクを下の方に貼っておきます。

 

ここまで見てきましたように、老いや老人がいつの時代も普遍的に劣るものというわけではなく、時代によって、あるいは地域によって、その価値は変わるものであると考えます。

 

「老い」や「老人」がネガティブな理由

さて、ではなぜ、現代の日本において老いや老人が、ネガティブなものとして扱われるのでしょうか?

その理由は5つああります。

1.生産性や役に立つことが重視される価値観
2.時代の変化の高速化
3.WHOの健康の定義と医学神話
4.長寿社会
5.未熟な老人

 

それぞれについて、解説します。

1.生産性や役に立つことが重視される価値観

経済発展を是とする資本主義の価値観の中では、若い人に比べ、老人は生産性が落ち、人の世話になる場面も増えてきます。
そういう社会の中では、どうしても老人は価値が低いとみられがちです。

 

2.時代の変化が高速化

孔子の時代には考えられなかったようなスピードで世の中が変化しています。

そして、インターネットやマスコミの普及により、経験や知識を簡単に情報として得ることができるようになりました。

そういった世の中では、長年蓄えた経験や知識は、むしろ役に立たないものとして価値が低下します。

一方で、年齢を重ねると、どうしても新しい事への適応力が低下します。

変化が少ない時代は、適応力が低いというデメリットよりも、経験や知識を持っているアドバンテージが大きかったのですが、現代は強みと弱みが逆転してしまったのだと思います。

 

3.WHOの健康の定義と医学神話

WHOの健康の定義は、身体的、精神的、社会的、スピリチュアルの全ての面において、完全に健全な状態を健康としています。

それは、すなわち、完全性や若さを礼賛する価値観です。

そして、老化現象とも言えるようなものですら、何かしらの病名がついて、それがあたかも治療可能であるかのように取り扱われます。

医療は、老化すらも治せるかのごとく、幻想を抱かせます。

そうなってくると、難聴とか、白内障とか、変形性関節症とか、そういった、老化現象とも言えるようなものは、人としての欠点として扱われるようになります。

 

4.長寿社会(希少性の低下)

ありふれたものよりも、稀なものが価値が高くなるのが、経済の仕組みです。

世の中に老人が少なかった時代は、老人は長年生き抜いてきた知恵を持つものとして重宝されました。

しかし、今では、老人がありふれた存在となり、価値が低下しています。

同時に、寿命が50年と言われた時代には、問題とならなかったような、認知症や、介護という問題が、顕在化したのがいまの長寿社会です。

 

5.未熟な老人

批判を恐れずにいうのならば、人格者である老人が、昔よりも相対的に少なくなったのではないかと思います。

今ほど医学が発展していなかった時代には、人々は、常に死を意識して暮らしていたと思います。

病院ではなく、身近なところで人が死にました。

家で死にましたし、若者が戦争や感染症で死にました。

80歳までいきられる人は、かなり選ばれた人でした。

常に死を意識して、生きて来た、人格を鍛錬した80歳が老人の代表であった時代。

自ずと、死生観や人格が鍛えられた時代です。

死を回避して生きて来た、どこにでもいる80歳が、老人の代表である時代。

若者から見た、老人の姿は、大きく違って見えるのではないでしょうか。

 

まとめ

「老い」や「老人」それそのものは、普遍的に価値が劣るものではなく、時代や地域、人によっては、尊敬の対象となる存在になり得ます。

その上で、老いがネガティブに捉えられやすい時代性がることを認識すべきです。

今の常識は、昔も、未来も、常識ではないことを知るべきです。

「老い」や「老人」全てが、ネガティブではなく、「愛される欠陥」を発揮したり「人格者」として、尊敬を集める人たちがいることもしっかり見ていきましょう。

80年、90年生きていく中では、体の自由を失い、視力を失い、聴力を失い、記憶を失い、伴侶を失い、友を失い、尊厳を失い…それでも自分の人生を生ききらねばなりません。

唯一、高めていけるのが、人格であったり人間性なのではないかと思うのです。

だから、私自身の目標として、「愛される欠陥」をもつお爺ちゃん、「人格者」として慕われるお爺ちゃんを目指していきたいと思います。

今回の記事を作成するにあたって、参照したサイト
シロクマの屑籠
キングコング 西野亮廣 公式ブログ
※「革命のファンファーレ」 西野亮廣著